大泉洋さん演じる主人公・鹿野靖明さんが、美瑛町の日の出の方角に向かって、電動車いすでゆっくり進みながら独りごちるシーンがあります。
「なんだか走ってるみたいだなぁ」
「いやいや、あんたは走ってるよ」ぼくは映画をみながらつぶやきました。声には出さなかったけれど。
筋ジストロフィーと介護について、医療考証や取材に基づいた現実の一端が描かれていますが、スクリーンに映っていたのは、普通の生活を願う普通の中年おやじの姿でした。
鹿野さんの足は電動車いすです。補助する道具か、生身の二本の足か。そこに大した違いはなくて、区別する必要はないんじゃないかなあ。なんて言ったら、「それはキレイごとが過ぎる」とあなたは鼻白むでしょうか。でも、旅行先の美瑛のコテージで鹿野さんは、たしかな足取りで駆け出したようにぼくには見えました。
まりちゃんと「こんな夜更けにバナナかよ」をみました。まりちゃんは、まわりの人に助けを頼むことについてなどなど、思うところがあったとのこと。またそのうち詳しく感想をききたいです。
まりちゃんは車いすにのっています。ぼくは少しの気遣いと少しのお手伝いはするけれど、「そりゃあ友達じゃけえ普通じゃろう」てなもんで、友達がたまたま車いすユーザーだっただけと思っています。しかし、車いすにのってるまりちゃんのとなりに座っていたからこそ、高畑充希さん演じる安堂美咲さんが言い放った言葉には、正直ハラハラさせられました。
「鹿野さんは何様? 障がい者ってそんなに偉いの?」
ボランティア(鹿ボラ)に対して、鹿野さんは暴君の振舞いなので、ごもっともな一喝です。ただ、率直な言葉ゆえに、障がい者と健常者を線引きする険のあるニュアンスが、まりちゃんの気持ちをザワつかせていないだろうか。となりでハラハラというかビクビクものだったというか。
そこからつづくシーンは、美咲さんへ鹿野さんからのラブレターに、ジンギスカンデート。鹿野さんがお腹を壊し、トイレに向かって右往左往。これにはまりちゃんと二人して大笑いしました。
もちろんそれは、不自由ゆえの四苦八苦を嘲笑したわけではありません。「ジンギスカンはある程度レアが一番」と得意顔からの落差。そして、障がい者とか健常者とか関係なく、人間生きていれば誰もが経験する火急の事態のことです。肛門を突き破る勢いの茶色いマグマを知るからこその大笑いです。
「いいのよ。だれだってうんちくらい漏らすもの。わたしだって」。美咲さんは慰めるでもなく言ってのけました。
ハラハラさせられたり、大笑いさせられたり、暴君とうんち、美咲さんの一喝とおもらし告白は、コインの表と裏というか、セットみたいなものでしょうか。
筋ジストロフィーとか車いすとか、障がい者とか健常者とか、そんなのはどうでもよくって、くち幅ったいですが、「さぁ、人生どういう覚悟で生きていきましょうか」これです。普遍のテーマでストーリーを追いました。